昭和21年、和歌山県新宮市矢倉町(現:千穂)で【安達運動具店】は産声を上げました。
創業者は安達矩一(あだちくいち)52歳の時です。
(上の画像は創業した当時の店先、当時は「安達商店」という店名で営業しておりました。)
創業者はそれまで学校事務に携わり、傍らで剣道・軟式庭球(ソフトテニス)の指導を行っておりました。
特に剣道は最終的には八段の腕前で、新宮道場の建設においては尽力をさせていただいたと言う事です。
創業当時は現在のように売る物が簡単に手に入る時代ではなく、また資金も潤沢にあるわけではなく、
「棕櫚の箒」(シュロのホウキ)や「ノート」等を手作りして学校に行商をしながら、
スポーツ用品の注文も合わせていただくというような営業活動で
また、その時に自分のテニスラケットを持参し、生徒さんの指導をしていたようです。
最近では少なくなりましたが、
「ここのおじいちゃんに中学生の頃テニスを教えてもろたんやで」とおっしゃってくれる
年配のお客様が10年ほど前まではちょくちょくいらっしゃいました。
創業者が営業活動の移動に使用したのは自転車で、
2、30キロ離れた取引先まで自転車で移動していたそうです。
三重県熊野市紀和町に「風伝峠」という峠があります。
今ではその峠の下をトンネルが抜けて、峠の向こう側に行くのは容易になりましたが
昔は峠を越えないと行くことができず、創業者は自転車でその峠を越えていたそうです。
若い頃から剣道とテニスで鍛えた体と言えども50歳を過ぎた創業者にとって
真夏の炎天下にくねくねと続く長い坂道を登る事は精神的にも体力的にも厳しいものがあり、
汗と涙で頬が濡れたという話を母親から聞かされたことがあります。
峠の向こうで待ってくれているお客様のために、テニスや剣道の生徒さんたちのために、
人様の役に立つために「何が何でも行かなアカン」という念いが真心となり、
創業者の原動力になったのだと思います。
(上の画像の人物は創業者の若い頃の画像です)
創業者の「何が何でも人様の役に立つ事せなアカン」という念いは
私達が受け継がなければならない永遠不滅の念いです。
この念いが当社全体に沁みわたり、
スポーツする人々に最高のよろこびが得られるスポーツ品・サービス・情報を
提供することができるよう日々精進させていただきます。